2009年9月21日月曜日
一月に見た大傑作
バニシング・ポイント(リチャード・C・サラフィアン)1971年
バニシング・ポイントのことをしったのはクエンティン・タランティーノ「デス・プルーフ」の主人公たちが車映画好きで、例の如く延々と車映画について語っていたからだ。
バニシング・ポイントは車が走っているだけの映画だ。無駄を省きすぎて映画自体が無駄になっている向きもあるかもしれない。しかしながら、それがいいの だ。最高なんです。これこそ男の生きざまなんです。コロラドからサンフランシスコまで1970年型ダッジ・チャレンジャーで疾走する。そして旅の終わりは 人生の終わりなのだ。
この映画こそジャンル映画の局地、極北。昔も今もジャンル映画の前衛だ。カーアクションというジャンルの本質である車のみ を延々と映し、ジャンル映画そのものを批判している。それによってバニシング・ポイントという映画の価値が映画史に輝く。この作為は、バリー・ニューマン の過去を語る顔と風景によって、我々の感情を宇宙に飛ばす。そうしてぼくはこの映画を「男の映画だ」と思ってしまう。無駄なのが男の生きざまなんだ。男は 誰にも理解されぬまま爆発で死ぬんだ。旅の終わりが男にとって「消失点」なんだよと。
エレクション~黒社会~(ジョニー・トー)2005年
香港フィルムノワールの傑作。簡単にいえば香港の「仁義なき戦い」。組織の覇権を握るために男たちが仁義なき抗争をするという話。ジョニー・トーは作る映画が男らしいだけじゃなく監督自身も男らしい。物語のリアリティを捨ててる感がする。それがいい。
出発 le depart(イエジー・スコリモフスキ)1967年
車青春もの。ポーランドの天才イエジー・スコリモフスキの作品。とにかく痛い。映画は物語の出来ではなくその話法と感情であると痛感させられる。「早春」、「ライトシップ」と同じく主人公の青年の感情のみが直接的に語られ、映画は全体的に一方的な印象を残す。そしてラストシーンで、それらが融和される。この映画はモンテ・ヘルマンの「断絶」と同じくフィルムの融解によって幕を閉じる。フィルムの融解が主人公たちの終わりと、映画の終わりを際立たせ僕らは見終わった後、突き放され、今ある自分の現実と絶望的に向き合わなければならない。映画が終わっても我々は生き延びなければならない。
ガーゴイル(クレール・ドゥニ)2001年
過去の映画のイメージ、ドラキュラのイメージ、ホラー映画のイメージなどによる空想、論理的飛躍で作ったような映画だ。いくつかの空想が飛躍によってつながっていて、全体は不思議にホラー映画として成り立っている。
ホラー映画は選択の映画だ。あー、そっちに行くことを選択してはいけないとか、一人でそっちに行ってはだめだ、など誤った選択(映画的には正しいが)によって物語は語られる。
しかし、「ガーゴイル」において、選択はあくまで便宜上のものであり、最後に対立する項は合体する。選択自体が無意味になる。そのかわりに緊張が映画全体を凍らせている。ヴィンセント・ギャロやアルマンド・ダレの動作はぎこちなく、不安定で、たとえばそれは水の流れにたとえられている。
ホラー映画が自分を見つめなおしているようなホラー映画だ。
黒沢清とクレール・ドゥニの対談
アンダー・グラウンド(エミール・クストリッツァ)1995年
ユーゴスラビア出身の監督の、ユーゴスラビアの歴史についてのコメディ映画。3時間近くあり、ディレクターズカットは5時間ある長尺映画。音楽と演出が陽気で、笑えるのだが時間の経つうちに笑いは泣き笑いへと変わり、最後には号泣。
悲しすぎる。悲惨な状況で2人の男を中心にコメディだからずいぶん飛躍した物語がかたられる。
「ライフ・イズ・ビューティフル」なんかと同じような話(楽しい家庭が崩壊してしまう)だが、楽しく、悲しいという点では全く「ライフ・イズ・ビューティフル」など足元にも及ばない。大傑作。
一月に見た映画1
先ほど、今年に入って見た映画364本目である「明日に向かって撃て!」を見終えた。何回も見た映画も含まれているから正確ではないが。もうすぐで大学の後期日程も始まる。前半戦終了といった感じだ。
なので、忘れないうちに今年前半(1月~6月末)に見た映画をまとめたい。
僕の手元にある「2009年見た映画リストによると、今年初めて見た映画はテレンス・フィッシャーの「吸血鬼ドラキュラ」で6月の最後に見た映画はジャック・ドゥミの「LOLA」だ。259本見ている。
一月の思い出(大体40本ほど)
冬 休みだった。留年は決定していてその事実に余り現実味が持てないままに過ごしていた。2008年の11月ごろから、たぶん法政大学で見たイエジー・スコリ モフスキの「早春」を見たせいで、めちゃくちゃに映画を見る生活を送っていた。たしか法政大学に向かう途中で、一緒に行った先輩からネストール・アルメン ドロス、およびモンテ・ヘルマンについて教えてもらった。
部室にずっといた。寝て、TUTAYAに行ってビデオを借りて、マクドナルドでハンバーガーを食べて、部室でそれを見る生活をしていた。
ナイト・オブ・ザ・リヴィングデッドを初めて見ることにより、苦手だったホラー映画を好んでみるようになる。この月にトビー・フーパーの「悪魔のいけに え」もみる。(うろ覚え。初めて見たのは2008年末だったかもしれない)戦慄した。なんだこいつは?俺は今までこんなやばい映画を見ていなかったのか、 とおもう。この頃は映画を見ること自体が新しい体験で、もうわくわくしまくっていた。映画を見ること自体がものすごく僕にとって幸せだった。
アメリカン・ニュー・シネマで見ていなかったものも見る。「バニシング・ポイント」や「スケアクロウ」など。特にバニシングポイントはかなりおもしろかった。爆音で見た。俺もぶっ飛べたらいいのにと思った。少し泣いた。
映画館で初めて見たのは田中登の「屋根裏の散歩者」シネマヴェーラで見た。神代辰巳の映画と併映で、僕はそのころ神代辰巳にとりつかれていたので、どちら かというと神代目当てで行ったのだが田中登の方が面白かった。あの時期神代辰巳に取りつかれていたのは、神代辰巳がコミュニケーションについての映画を多 く撮っていたからだろう。「悶絶!!どんでん返し」や「恋人たちは濡れた」「黒薔薇昇天」など、神代辰巳の作品にはやけに息苦しい映画が多い。その息苦し さはガシャポンのようなもので、登場人たちは各々カプセルの中に入ってガシャガシャ自分をこすりつけている。僕はみんなとおしくらまんじゅうがしたかっ た。
新宿TUTAYAで、大傑作イエジー・スコリモフスキの「出発」を見る。「早春」と同じように痛々しい青春の話。ジャンル映画的フェティシズムにあふれた映画で、泣く。
誕生日に、「ワイルドバンチ」(サム・ペキンパー)、「大アマゾンの半魚人」(ジャック・アーノルド)、「血みどろの入江」(マリオ・バーヴァ)を見る。マリオ・バーヴァのこの作品を見ることによってこののちイタリアのジャッロ映画を見ることになる。
新文芸坐で同窓会をさぼってまで「仁義なき戦いオールナイト」を見る。映画の最中に友達から電話がひっきりなしにかかってくるので大変だった。実際、一度通して見ているので同窓会に行った方が確実に楽しかっただろう。
バイト先の先輩からクレール・ドゥニというフランスの女流監督の「the intruder」を借りる。ジャン・リュック・ナンシーの「侵入者」という本をもとにした映画と聞いたので、その本を買って読み、映画を見る。傑作だっ た。ジャン・リュック・ナンシーの本を数冊読む。新しい知識が頭の中に入っていく。この時の僕にとって映画を見ることは実に生産的な行いで、蓮見重彦及び 黒沢清を妄信していたせいで、自分の映画の見方に対して何の疑いも持っていなかった。このころ、ドゥルーズの「シネマ Ⅱ」も読む。意味がわからないが、 かろうじて「ストローブ=ユイレ」という単語だけ覚えることに成功する。
六本木シネマートにて、「藍宇 情熱の嵐」(スタンリー・クワン)とい う香港ゲイ映画を見る。ゲイ映画および香港映画を好んでみるようになる。六本木シネマートで催されたゲイ映画オールナイトに一人で行く、周りは主婦層ばっ かりで意味不明な言語でコミュニケーションしていた。トーク・ショーも意味がわからなかった。早朝の六本木はガイジンと日本人女性のカップルばっかりで心 底恐ろしかった。そいつらが自分の話をしていると思い込んで、自分が情けなくなった。
イタリア映画もホラーを中心に見続ける「続・荒野の用心 棒」(セルジオ・コルブッチ)、「殺しが静かにやってくる」(セルジオ・コルブッチ)、「ザ・ショック」(マリオ・バーヴァ)、「サンゲリア」(ルシオ・ フルチ)など。サスペリア2のダリオ・アルジェントの色使いや、80年代ポップの多用された不思議な映像。たまらなかった。ゴブリンの曲が鳴り出すと意味 もなく叫んだ。一人だったけど最高に楽しかった。
1月後半にはエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」とクレール・ドゥニの「ガーゴイル」という大傑作に出合った。
一月後半にフセヴォロド・プドフキンの「チェス狂」と「母」を見る。「チェス狂」は見事なコメディで「スローなブギにしてくれ」に匹敵する猫映画だった。
なので、忘れないうちに今年前半(1月~6月末)に見た映画をまとめたい。
僕の手元にある「2009年見た映画リストによると、今年初めて見た映画はテレンス・フィッシャーの「吸血鬼ドラキュラ」で6月の最後に見た映画はジャック・ドゥミの「LOLA」だ。259本見ている。
一月の思い出(大体40本ほど)
冬 休みだった。留年は決定していてその事実に余り現実味が持てないままに過ごしていた。2008年の11月ごろから、たぶん法政大学で見たイエジー・スコリ モフスキの「早春」を見たせいで、めちゃくちゃに映画を見る生活を送っていた。たしか法政大学に向かう途中で、一緒に行った先輩からネストール・アルメン ドロス、およびモンテ・ヘルマンについて教えてもらった。
部室にずっといた。寝て、TUTAYAに行ってビデオを借りて、マクドナルドでハンバーガーを食べて、部室でそれを見る生活をしていた。
ナイト・オブ・ザ・リヴィングデッドを初めて見ることにより、苦手だったホラー映画を好んでみるようになる。この月にトビー・フーパーの「悪魔のいけに え」もみる。(うろ覚え。初めて見たのは2008年末だったかもしれない)戦慄した。なんだこいつは?俺は今までこんなやばい映画を見ていなかったのか、 とおもう。この頃は映画を見ること自体が新しい体験で、もうわくわくしまくっていた。映画を見ること自体がものすごく僕にとって幸せだった。
アメリカン・ニュー・シネマで見ていなかったものも見る。「バニシング・ポイント」や「スケアクロウ」など。特にバニシングポイントはかなりおもしろかった。爆音で見た。俺もぶっ飛べたらいいのにと思った。少し泣いた。
映画館で初めて見たのは田中登の「屋根裏の散歩者」シネマヴェーラで見た。神代辰巳の映画と併映で、僕はそのころ神代辰巳にとりつかれていたので、どちら かというと神代目当てで行ったのだが田中登の方が面白かった。あの時期神代辰巳に取りつかれていたのは、神代辰巳がコミュニケーションについての映画を多 く撮っていたからだろう。「悶絶!!どんでん返し」や「恋人たちは濡れた」「黒薔薇昇天」など、神代辰巳の作品にはやけに息苦しい映画が多い。その息苦し さはガシャポンのようなもので、登場人たちは各々カプセルの中に入ってガシャガシャ自分をこすりつけている。僕はみんなとおしくらまんじゅうがしたかっ た。
新宿TUTAYAで、大傑作イエジー・スコリモフスキの「出発」を見る。「早春」と同じように痛々しい青春の話。ジャンル映画的フェティシズムにあふれた映画で、泣く。
誕生日に、「ワイルドバンチ」(サム・ペキンパー)、「大アマゾンの半魚人」(ジャック・アーノルド)、「血みどろの入江」(マリオ・バーヴァ)を見る。マリオ・バーヴァのこの作品を見ることによってこののちイタリアのジャッロ映画を見ることになる。
新文芸坐で同窓会をさぼってまで「仁義なき戦いオールナイト」を見る。映画の最中に友達から電話がひっきりなしにかかってくるので大変だった。実際、一度通して見ているので同窓会に行った方が確実に楽しかっただろう。
バイト先の先輩からクレール・ドゥニというフランスの女流監督の「the intruder」を借りる。ジャン・リュック・ナンシーの「侵入者」という本をもとにした映画と聞いたので、その本を買って読み、映画を見る。傑作だっ た。ジャン・リュック・ナンシーの本を数冊読む。新しい知識が頭の中に入っていく。この時の僕にとって映画を見ることは実に生産的な行いで、蓮見重彦及び 黒沢清を妄信していたせいで、自分の映画の見方に対して何の疑いも持っていなかった。このころ、ドゥルーズの「シネマ Ⅱ」も読む。意味がわからないが、 かろうじて「ストローブ=ユイレ」という単語だけ覚えることに成功する。
六本木シネマートにて、「藍宇 情熱の嵐」(スタンリー・クワン)とい う香港ゲイ映画を見る。ゲイ映画および香港映画を好んでみるようになる。六本木シネマートで催されたゲイ映画オールナイトに一人で行く、周りは主婦層ばっ かりで意味不明な言語でコミュニケーションしていた。トーク・ショーも意味がわからなかった。早朝の六本木はガイジンと日本人女性のカップルばっかりで心 底恐ろしかった。そいつらが自分の話をしていると思い込んで、自分が情けなくなった。
イタリア映画もホラーを中心に見続ける「続・荒野の用心 棒」(セルジオ・コルブッチ)、「殺しが静かにやってくる」(セルジオ・コルブッチ)、「ザ・ショック」(マリオ・バーヴァ)、「サンゲリア」(ルシオ・ フルチ)など。サスペリア2のダリオ・アルジェントの色使いや、80年代ポップの多用された不思議な映像。たまらなかった。ゴブリンの曲が鳴り出すと意味 もなく叫んだ。一人だったけど最高に楽しかった。
1月後半にはエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」とクレール・ドゥニの「ガーゴイル」という大傑作に出合った。
一月後半にフセヴォロド・プドフキンの「チェス狂」と「母」を見る。「チェス狂」は見事なコメディで「スローなブギにしてくれ」に匹敵する猫映画だった。
Beast From Haunted Cave(魔の谷)
「断絶」、「コックファイター」のモンテ・ヘルマンデビュー作。1959年。製作はロッキー・ホラー・ショーでおなじみのロジャー・コーエン。有名な低予算映画のプロデューサーで今も現役。
パブリック・ドメインらしく、http://www.archive.org/details/BeastFromHauntedCaveで本編をダウンロード可能。
デビュー作ながら時間の使い方がうまい。昔の恐怖映画、特に低予算映画、はどうしても怪物がお粗末なものになりやすいので冒頭は怪物の全体は映さず、部分部分を小出しにすることによって恐怖心をあおり、そして最後にようやく全体を出した。ユニバーサルの怪物ものも、ハマーフィルムの怪物ものもそうだ。(そういう演出がもっともうまく、かつ発展的に応用したのがトビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」だと思う。) そのような演出と同時に発生するのは、怪物が画面に出てこない間をどのようにつないでいくかということだ。「魔の谷」は犯罪でつないだ。怪物が人を襲うのと同時に、登場人物は金庫破りをする。
この映画はどちらかというと怪物よりも人間ドラマに比重を置いている作りだ。前半30分は登場人物の関係と犯罪を描き、後半30分は犯罪後の人間関係、そして最後の10分で怪物をやっつける。怪物映画のはずが、完全に怪物は映画的予定調和の道具として利用され、70分という短い時間をまとめる。この怪物の扱いはかなり出色のものだろう。怪物映画はその呼称の示すとおりに、怪物に翻弄される人間たちを描くのが常だが、この映画において怪物は物語を終わらせる道具でしかない。
映画は夜のシーンか部屋の中のシーンが圧倒的に多いが、夜のシーンの懐中電灯で一部分だけを照らすジャック・ターナーのような演出が効果的だった。初めの男が町の写真を撮っているシーンもフィルム・ノワールぽくてカッコ良かった。
パブリック・ドメインらしく、http://www.archive.org/details/BeastFromHauntedCaveで本編をダウンロード可能。
デビュー作ながら時間の使い方がうまい。昔の恐怖映画、特に低予算映画、はどうしても怪物がお粗末なものになりやすいので冒頭は怪物の全体は映さず、部分部分を小出しにすることによって恐怖心をあおり、そして最後にようやく全体を出した。ユニバーサルの怪物ものも、ハマーフィルムの怪物ものもそうだ。(そういう演出がもっともうまく、かつ発展的に応用したのがトビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」だと思う。) そのような演出と同時に発生するのは、怪物が画面に出てこない間をどのようにつないでいくかということだ。「魔の谷」は犯罪でつないだ。怪物が人を襲うのと同時に、登場人物は金庫破りをする。
この映画はどちらかというと怪物よりも人間ドラマに比重を置いている作りだ。前半30分は登場人物の関係と犯罪を描き、後半30分は犯罪後の人間関係、そして最後の10分で怪物をやっつける。怪物映画のはずが、完全に怪物は映画的予定調和の道具として利用され、70分という短い時間をまとめる。この怪物の扱いはかなり出色のものだろう。怪物映画はその呼称の示すとおりに、怪物に翻弄される人間たちを描くのが常だが、この映画において怪物は物語を終わらせる道具でしかない。
映画は夜のシーンか部屋の中のシーンが圧倒的に多いが、夜のシーンの懐中電灯で一部分だけを照らすジャック・ターナーのような演出が効果的だった。初めの男が町の写真を撮っているシーンもフィルム・ノワールぽくてカッコ良かった。
目が痛い
目が痛いので昼間は寝ている。そして午後10時くらいに起きて、映画を見始める。リアルで会話をするのはコンビニの店員くらいで、果たしてそれは会話になっているのだろうか。
店員「いらっしゃいませ」
店員「お弁当温めますか?」
おれ「あ、おねがいします。あとマルボロのボックスください。」
店員「830円になります」
おれ「ありがとうございます」
目が痛いのでずっと映画を見るわけにもいかず、空を見る。明かりがないので目が痛まないのだ。このままずっとこんな生活を送っていられるわけもないな、と考えてほかの選択肢について思いを巡らす。何か行動をするわけでもなく曇った空を見ながら考える。いろいろ言い訳を思いついては消去してくと今度は現実的な問題が頭をかすめてくる。いままではそんなとき学校で誰かと話したりマンガを読んで、現実から遠ざかったりしていたけど夏休みも後半でそんなことをする気力もないし、目も痛い。
おんなじ毎日だから変わったことなんて起こらないんだけど、時々特定の誰かに話したい事が起こって、そいつとその話をしているところを頭の中でシミュレーションして、頭の中のそいつがすげー大爆笑しているからこれは間違いなし、と思うんだけどそんなことしているうちに時間は過ぎて変わったことは変わらないことになって、いざそいつにあってもその話を思い出す事が出来ない。
映画を見ることももはや面白みはない。僕が感じたいのは「映画って素晴らしい。何て素晴らしいのだろう。僕は映画が好きでよかった。俺は俺がだいすきだ。」ってことで、でもそんなことを思える映画に出会えるのは数十本に一本くらいの割合だ。
そしてもう考えるのはオナニーのことだけだ。つまらないAVで自慰をして、手についてしまった精液を洗いながら考える。「俺は俺の精液が能力を持っているとは全く考えられない。俺の精子が子供に成長することはない。他人は自分の精液が成長する機会を持っているけど、おれにはそんな機会はない。」白い液が暗い穴の中に水とともに流れていく。
GTOっていう漫画があるじゃないですか、グレートな先生の話。僕は全巻を最近読破した。
「キャスト・アウェイ」って映画を見て自分がトム・ハンクスみたいに無人島に漂着したらどうなるんだろうって考えると、早く無人島に漂着したくなる。生きのびることができる気がするからだ。あー、目が痛い。
人並みに他人とかかわっていて、別に不満もないからこんな風に考えることができると思うとやっぱり俺は俺が大好きなので誰にも傷つけられずに、他人は俺のためにしか存在してほしくない。だから俺は俺を傷つける人が嫌いだ。だから他人がいることに対して全く現実感はない。その人自身の意志で行動して総理大臣になるのが想像もできない。
目がすごく痛くなってきた。昨日コンタクトしたまま寝たからだ。虹彩毛様体炎、原田病、サルコイドーシス、ベーチェット病のどれかだ。
部屋がどんどん汚くなっていく。目が痛くてまともに見れないからだ。
店員「いらっしゃいませ」
店員「お弁当温めますか?」
おれ「あ、おねがいします。あとマルボロのボックスください。」
店員「830円になります」
おれ「ありがとうございます」
目が痛いのでずっと映画を見るわけにもいかず、空を見る。明かりがないので目が痛まないのだ。このままずっとこんな生活を送っていられるわけもないな、と考えてほかの選択肢について思いを巡らす。何か行動をするわけでもなく曇った空を見ながら考える。いろいろ言い訳を思いついては消去してくと今度は現実的な問題が頭をかすめてくる。いままではそんなとき学校で誰かと話したりマンガを読んで、現実から遠ざかったりしていたけど夏休みも後半でそんなことをする気力もないし、目も痛い。
おんなじ毎日だから変わったことなんて起こらないんだけど、時々特定の誰かに話したい事が起こって、そいつとその話をしているところを頭の中でシミュレーションして、頭の中のそいつがすげー大爆笑しているからこれは間違いなし、と思うんだけどそんなことしているうちに時間は過ぎて変わったことは変わらないことになって、いざそいつにあってもその話を思い出す事が出来ない。
映画を見ることももはや面白みはない。僕が感じたいのは「映画って素晴らしい。何て素晴らしいのだろう。僕は映画が好きでよかった。俺は俺がだいすきだ。」ってことで、でもそんなことを思える映画に出会えるのは数十本に一本くらいの割合だ。
そしてもう考えるのはオナニーのことだけだ。つまらないAVで自慰をして、手についてしまった精液を洗いながら考える。「俺は俺の精液が能力を持っているとは全く考えられない。俺の精子が子供に成長することはない。他人は自分の精液が成長する機会を持っているけど、おれにはそんな機会はない。」白い液が暗い穴の中に水とともに流れていく。
GTOっていう漫画があるじゃないですか、グレートな先生の話。僕は全巻を最近読破した。
「キャスト・アウェイ」って映画を見て自分がトム・ハンクスみたいに無人島に漂着したらどうなるんだろうって考えると、早く無人島に漂着したくなる。生きのびることができる気がするからだ。あー、目が痛い。
人並みに他人とかかわっていて、別に不満もないからこんな風に考えることができると思うとやっぱり俺は俺が大好きなので誰にも傷つけられずに、他人は俺のためにしか存在してほしくない。だから俺は俺を傷つける人が嫌いだ。だから他人がいることに対して全く現実感はない。その人自身の意志で行動して総理大臣になるのが想像もできない。
目がすごく痛くなってきた。昨日コンタクトしたまま寝たからだ。虹彩毛様体炎、原田病、サルコイドーシス、ベーチェット病のどれかだ。
部屋がどんどん汚くなっていく。目が痛くてまともに見れないからだ。
スカンピン
鈴木慶一とムーンライダースの名曲「スカンピン」を和田あきこが歌っていて、すごくいいので最近よく聞いている。鈴木慶一のほかの曲も聞きたくなってはちみつぱいやら、ソロの曲を聴く。「僕の幸せ」、「土手の向こうで」、「堀の上で」など懐かしい。
ぼくが鈴木慶一関係の曲を初めて聞いたのはあがた森魚の「乙女の儚夢」だった。確かそのアルバムのライナーノートに「あがた森魚が鈴木慶一に初めて会ったとき、鈴木慶一はザッパのfreaks outを聴いていた。」って書いてあったから、僕はザッパを知ったのだ。
はちみつぱいの唯一のオリジナル・アルバムである「センチメンタル通り」は近所のTUTAYAで借りた。最初、「堀の上で」はあまり好きじゃなくてシングルカットされた「君と旅行鞄」と「酔いどれダンスミュージック」ばっかり聞いていた。その後、友達からピクシーズとナンバーガールのCDを借りてそんなものばっかり聞くようになってしまったので、はちみつぱい及び鈴木慶一はほとんど聞くことがないままに、大学生になった。大学一年生の時はムーンライダーズにすこしはまった。
数年に一、二回なんとなく特定の音楽ばっかり聞いているときがある。例えばビートルズや大滝詠一など。鈴木慶一もそれと同じように聞く。ナンバーガールや昭和歌謡、エレクトロニカは俺にとって、全共闘世代が自らの学生時代を称して言うような、熱病みたいなものであった。
なぜ、ビートルズや大滝詠一を聞きたくなるのだろうか。僕は時々マクドナルドのハンバーガーが食べたくなる。ハンバーガーの肉の食感が頭の中でぐるぐる再生されて、実際にそれを味わいたくなるからです。僕は鈴木慶一を聞いた時の感情を欲しているのではないか。鈴木慶一やビートルズの曲を聴いた時の感情を経験しているから、それをまた経験したくなるのか。
音楽ってそんなものなのか。チャイコフスキーの「悲愴」は最初感情的すぎるっていう理由で批判されたらしい(うろ覚えだが持っていたレコードのライナーノートに書いてあった)。確かに感情が踊っているような音楽だ。それだけで批判され、それだけで音楽として成り立つのか。正しい音楽の聴き方があるのかは知らないけれど、少なくとも自分にとって正しい音楽の聴き方を習得することができればいいと思います。
ぼくが鈴木慶一関係の曲を初めて聞いたのはあがた森魚の「乙女の儚夢」だった。確かそのアルバムのライナーノートに「あがた森魚が鈴木慶一に初めて会ったとき、鈴木慶一はザッパのfreaks outを聴いていた。」って書いてあったから、僕はザッパを知ったのだ。
はちみつぱいの唯一のオリジナル・アルバムである「センチメンタル通り」は近所のTUTAYAで借りた。最初、「堀の上で」はあまり好きじゃなくてシングルカットされた「君と旅行鞄」と「酔いどれダンスミュージック」ばっかり聞いていた。その後、友達からピクシーズとナンバーガールのCDを借りてそんなものばっかり聞くようになってしまったので、はちみつぱい及び鈴木慶一はほとんど聞くことがないままに、大学生になった。大学一年生の時はムーンライダーズにすこしはまった。
数年に一、二回なんとなく特定の音楽ばっかり聞いているときがある。例えばビートルズや大滝詠一など。鈴木慶一もそれと同じように聞く。ナンバーガールや昭和歌謡、エレクトロニカは俺にとって、全共闘世代が自らの学生時代を称して言うような、熱病みたいなものであった。
なぜ、ビートルズや大滝詠一を聞きたくなるのだろうか。僕は時々マクドナルドのハンバーガーが食べたくなる。ハンバーガーの肉の食感が頭の中でぐるぐる再生されて、実際にそれを味わいたくなるからです。僕は鈴木慶一を聞いた時の感情を欲しているのではないか。鈴木慶一やビートルズの曲を聴いた時の感情を経験しているから、それをまた経験したくなるのか。
音楽ってそんなものなのか。チャイコフスキーの「悲愴」は最初感情的すぎるっていう理由で批判されたらしい(うろ覚えだが持っていたレコードのライナーノートに書いてあった)。確かに感情が踊っているような音楽だ。それだけで批判され、それだけで音楽として成り立つのか。正しい音楽の聴き方があるのかは知らないけれど、少なくとも自分にとって正しい音楽の聴き方を習得することができればいいと思います。
2009年9月20日日曜日
ZODIAC
さっき見ました。監督はデビット・フィンチャー。同じクライムサスペンスもので「se7en」も彼は作っています。amazonのコメントでも「se7en」と比較するものが多い。「セブン、ファイトクラブ、のときのようなテンポを期待したらダメです。」など批判的なものもあるので全体の評価はあまり高くない。「se7en」は確かに傑作だった。カイル・クーパーの印象的なオープニングから銀残しによる特徴的な映像、そしてテンポの速さ。「se7en」は90年代のハリウッド映画を代表する作品だろう。しかし、どちらもデビット・フィンチャーの傑作だと思う。
「zodiac」は複数の人間がどのようにゾディアック事件にかかわったかをえがいている。刑事たちや、新聞記者や主人公はどのように事件にかかわったのか。各々に事件にかかわるヒントがちりばめられていて、我々は犯人を推理する。それらのヒントはとてもテンポよく登場してくるので、映画のスピード感はぼくにとって「se7en」なみだった。また、同じ事件を題材にしたドン・シーゲル監督クリント・イーストウッド主演の「ダーティ・ハリー」を主人公達が見ているシーンもあって見事な対比だと思った。「ダーティ・ハリー」はあくまでもアクション映画であって犯人を射殺するなど自由だが、「zodiac」は人間ドラマなのでそこまで自由がない。ハリー・キャラハンが犯人を射殺したというフィクションの事実が「zodiac」においても有効で、何も解決していないようなラストシーンでも僕は納得がいく。
「zodiac」は複数の人間がどのようにゾディアック事件にかかわったかをえがいている。刑事たちや、新聞記者や主人公はどのように事件にかかわったのか。各々に事件にかかわるヒントがちりばめられていて、我々は犯人を推理する。それらのヒントはとてもテンポよく登場してくるので、映画のスピード感はぼくにとって「se7en」なみだった。また、同じ事件を題材にしたドン・シーゲル監督クリント・イーストウッド主演の「ダーティ・ハリー」を主人公達が見ているシーンもあって見事な対比だと思った。「ダーティ・ハリー」はあくまでもアクション映画であって犯人を射殺するなど自由だが、「zodiac」は人間ドラマなのでそこまで自由がない。ハリー・キャラハンが犯人を射殺したというフィクションの事実が「zodiac」においても有効で、何も解決していないようなラストシーンでも僕は納得がいく。
2009年9月19日土曜日
アシュラ男爵
眠りが浅いのでよく夢を見ます。最近見た夢は俺がロバート・デニーロになって相棒のジャン・レノとともにエヴァンゲリオン初号機が海外に逃亡するのを手助けする夢で、その夢の下敷きになっているのは完全にジョン・フランケンハイマーの「ronin」なのですが、二度寝をしてしまうくらい面白い夢でした。
そんな夢ばっかりだったらいいのですが、怖い夢もみます。下敷きになってるのは伊藤潤二や御茶漬海苔などのホラー漫画です。僕は高校生で隣には大学の知り合いがなぜか座っていて教室は授業中です。隣の人と僕はとても仲が良いので、いろいろ話をしています。そうすると隣の知り合いは誰かに呼ばれて別の教室に行き、そこには頭が渦巻きだったり眼球だったりする人がいて、知り合いは食われて別の生物になり変ってしまうのです。そのことを僕はなぜか知っていて教室に戻ってきた知り合いと今後どういう関係を持ったらいいのか煩悶するという夢です。
そんな夢を見た日、起きると右目がやけに痛くて鏡を見ると充血していました。明かりがあると目が痛くて開けられなくてとうとう僕も夜行性の生き物になってしまったんだと感じました。
目が痛くて見ることが苦痛になってくると、いかに自分が目に頼って生きているのかがわかります。そして見ることが非常に貴重であることも分かります。
夢は見ます。映像の再生のように見ています。僕は夢を見ているときカメラで主人公です。ある意味で最高の映像体験です。赤と青のメガネを装着することなく立体で、監督の演出なく感情を揺さぶられます。自分の夢はimdbでトップの「ショーシャンクの空に」などカスに思えるくらいの大傑作であると僕は感じています。こういう脳みその作った体験を僕は見るという行為によって確認しています。
夢を見ている時でもそうなのですから、起きている時などなおさらです。もう何もかも常に見て聞いています。
だから僕は非常に恐ろしい。目が真っ赤だ。画面がまぶしい。すげー赤い。うさぎみたいだ。あー、コンタクトを何週間も外さないでいたからだ。

虹彩毛様体炎、原田病、サルコイドーシス、ベーチェット病、、若年性関節リウマチ、慢性関節リウマチ、強直性脊椎炎、ライター症候群、潰瘍性大腸炎、クローン病のどれかだ。絶対やばい。角膜の酸素不足がやばい。眼科はめんどくさいから寝て治そう。寝たら、治る。
こういうめをめざす
そんな夢ばっかりだったらいいのですが、怖い夢もみます。下敷きになってるのは伊藤潤二や御茶漬海苔などのホラー漫画です。僕は高校生で隣には大学の知り合いがなぜか座っていて教室は授業中です。隣の人と僕はとても仲が良いので、いろいろ話をしています。そうすると隣の知り合いは誰かに呼ばれて別の教室に行き、そこには頭が渦巻きだったり眼球だったりする人がいて、知り合いは食われて別の生物になり変ってしまうのです。そのことを僕はなぜか知っていて教室に戻ってきた知り合いと今後どういう関係を持ったらいいのか煩悶するという夢です。
そんな夢を見た日、起きると右目がやけに痛くて鏡を見ると充血していました。明かりがあると目が痛くて開けられなくてとうとう僕も夜行性の生き物になってしまったんだと感じました。
目が痛くて見ることが苦痛になってくると、いかに自分が目に頼って生きているのかがわかります。そして見ることが非常に貴重であることも分かります。
夢は見ます。映像の再生のように見ています。僕は夢を見ているときカメラで主人公です。ある意味で最高の映像体験です。赤と青のメガネを装着することなく立体で、監督の演出なく感情を揺さぶられます。自分の夢はimdbでトップの「ショーシャンクの空に」などカスに思えるくらいの大傑作であると僕は感じています。こういう脳みその作った体験を僕は見るという行為によって確認しています。
夢を見ている時でもそうなのですから、起きている時などなおさらです。もう何もかも常に見て聞いています。
だから僕は非常に恐ろしい。目が真っ赤だ。画面がまぶしい。すげー赤い。うさぎみたいだ。あー、コンタクトを何週間も外さないでいたからだ。

虹彩毛様体炎、原田病、サルコイドーシス、ベーチェット病、、若年性関節リウマチ、慢性関節リウマチ、強直性脊椎炎、ライター症候群、潰瘍性大腸炎、クローン病のどれかだ。絶対やばい。角膜の酸素不足がやばい。眼科はめんどくさいから寝て治そう。寝たら、治る。

こういうめをめざす
2009年9月5日土曜日
英雄本色
香港には「英雄本色」という映画があって、日本では「男たちの挽歌」と呼ばれている。
監督はジョン・ウーで、制作はツイ・ハークだ。
いったい何回この映画を見返したことだろう。
たとえば人に何日間もあわない時などに、この映画を見ると良い。
たとえばアルバイトの面接に行く前に見ても良い。
緊張で頭が暴発したり、恥ずかしさで夜道を全力で走っている時などにこの映画を思い返すと、目の前にチョウ・ユン・ファやらタイ・ロンやらレスリー・チャンやらがあらわれてスローモーションで銃を乱射しているのが見えてくる。
映画とは一体何なのだ。僕はストローブ・ユイレなんかも好きで「アンナ・マグダーレナ・バッハの年代記」と「労働者たち 農民たち」にはimdbで10を付けるぐらい好きだ。しかしながらやはりそれと同じような感覚でもって「男たちの挽歌」にも10を付ける。
坂本龍一がNHKで爆笑問題と対談してて「桑田圭介の曲はわからない」と言って「音として聞いてしまう」と言っていた。それははたしてわからくないような話で、僕自身もその感覚に陥ったことがある。映画もそれと同じような話ができる。ストーリーを楽しむのか、映像を楽しむのか。
音楽も映画もどちらかを切り離してどちらかだけを選ぶようなことはできない。映像やらストーリー(脚本)やら音やらが関係しあってようやく完成する。
監督はジョン・ウーで、制作はツイ・ハークだ。
いったい何回この映画を見返したことだろう。
たとえば人に何日間もあわない時などに、この映画を見ると良い。
たとえばアルバイトの面接に行く前に見ても良い。
緊張で頭が暴発したり、恥ずかしさで夜道を全力で走っている時などにこの映画を思い返すと、目の前にチョウ・ユン・ファやらタイ・ロンやらレスリー・チャンやらがあらわれてスローモーションで銃を乱射しているのが見えてくる。
映画とは一体何なのだ。僕はストローブ・ユイレなんかも好きで「アンナ・マグダーレナ・バッハの年代記」と「労働者たち 農民たち」にはimdbで10を付けるぐらい好きだ。しかしながらやはりそれと同じような感覚でもって「男たちの挽歌」にも10を付ける。
坂本龍一がNHKで爆笑問題と対談してて「桑田圭介の曲はわからない」と言って「音として聞いてしまう」と言っていた。それははたしてわからくないような話で、僕自身もその感覚に陥ったことがある。映画もそれと同じような話ができる。ストーリーを楽しむのか、映像を楽しむのか。
音楽も映画もどちらかを切り離してどちらかだけを選ぶようなことはできない。映像やらストーリー(脚本)やら音やらが関係しあってようやく完成する。
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