2009年9月21日月曜日

一月に見た大傑作



バニシング・ポイント
(リチャード・C・サラフィアン)1971年

 バニシング・ポイントのことをしったのはクエンティン・タランティーノ「デス・プルーフ」の主人公たちが車映画好きで、例の如く延々と車映画について語っていたからだ。
  バニシング・ポイントは車が走っているだけの映画だ。無駄を省きすぎて映画自体が無駄になっている向きもあるかもしれない。しかしながら、それがいいの だ。最高なんです。これこそ男の生きざまなんです。コロラドからサンフランシスコまで1970年型ダッジ・チャレンジャーで疾走する。そして旅の終わりは 人生の終わりなのだ。
 この映画こそジャンル映画の局地、極北。昔も今もジャンル映画の前衛だ。カーアクションというジャンルの本質である車のみ を延々と映し、ジャンル映画そのものを批判している。それによってバニシング・ポイントという映画の価値が映画史に輝く。この作為は、バリー・ニューマン の過去を語る顔と風景によって、我々の感情を宇宙に飛ばす。そうしてぼくはこの映画を「男の映画だ」と思ってしまう。無駄なのが男の生きざまなんだ。男は 誰にも理解されぬまま爆発で死ぬんだ。旅の終わりが男にとって「消失点」なんだよと。


エレクション~黒社会~
(ジョニー・トー)2005年

 香港フィルムノワールの傑作。簡単にいえば香港の「仁義なき戦い」。組織の覇権を握るために男たちが仁義なき抗争をするという話。ジョニー・トーは作る映画が男らしいだけじゃなく監督自身も男らしい。物語のリアリティを捨ててる感がする。それがいい。

出発 le depart(イエジー・スコリモフスキ)1967年

 車青春もの。ポーランドの天才イエジー・スコリモフスキの作品。とにかく痛い。映画は物語の出来ではなくその話法と感情であると痛感させられる。「早春」、「ライトシップ」と同じく主人公の青年の感情のみが直接的に語られ、映画は全体的に一方的な印象を残す。そしてラストシーンで、それらが融和される。この映画はモンテ・ヘルマンの「断絶」と同じくフィルムの融解によって幕を閉じる。フィルムの融解が主人公たちの終わりと、映画の終わりを際立たせ僕らは見終わった後、突き放され、今ある自分の現実と絶望的に向き合わなければならない。映画が終わっても我々は生き延びなければならない。


ガーゴイル(クレール・ドゥニ)2001年

 過去の映画のイメージ、ドラキュラのイメージ、ホラー映画のイメージなどによる空想、論理的飛躍で作ったような映画だ。いくつかの空想が飛躍によってつながっていて、全体は不思議にホラー映画として成り立っている。
 ホラー映画は選択の映画だ。あー、そっちに行くことを選択してはいけないとか、一人でそっちに行ってはだめだ、など誤った選択(映画的には正しいが)によって物語は語られる。
 しかし、「ガーゴイル」において、選択はあくまで便宜上のものであり、最後に対立する項は合体する。選択自体が無意味になる。そのかわりに緊張が映画全体を凍らせている。ヴィンセント・ギャロやアルマンド・ダレの動作はぎこちなく、不安定で、たとえばそれは水の流れにたとえられている。
 ホラー映画が自分を見つめなおしているようなホラー映画だ。
 黒沢清とクレール・ドゥニの対談


アンダー・グラウンド(エミール・クストリッツァ)1995年

 ユーゴスラビア出身の監督の、ユーゴスラビアの歴史についてのコメディ映画。3時間近くあり、ディレクターズカットは5時間ある長尺映画。音楽と演出が陽気で、笑えるのだが時間の経つうちに笑いは泣き笑いへと変わり、最後には号泣。
 悲しすぎる。悲惨な状況で2人の男を中心にコメディだからずいぶん飛躍した物語がかたられる。
「ライフ・イズ・ビューティフル」なんかと同じような話(楽しい家庭が崩壊してしまう)だが、楽しく、悲しいという点では全く「ライフ・イズ・ビューティフル」など足元にも及ばない。大傑作。

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