2010年1月31日日曜日

NWW

最近よくノイズミュージック聴きます。といっても、Nurse With Wound一択なんですが。初期はガチノイズ・インダストリアルですが、最近はアンビエントな感じしますね。イギリスの人です。あの、WHITEHOUSEと一緒にやってるアルバム結構いいんですよ。びよよよーんて感じです。俺アルバイトしていまして、仕事しながらずっとNWWの「 Chance Meeting on a Dissecting Table of a Sewing Machine and an Umbrella」を聞いているんです。
2曲目の「The Six Buttons of Sex Appeal」でもうブワーッとテンション上がるんですよ。時々飛び蹴りの真似したりしますね。嫌な気持ちでアルバイトしてるからですかね。

オススメしたい
Nurse with wound/「Chance Meeting on a Dissecting Table of a Sewing Machine and an Umbrella」

かっこいい。ハーシュノイズでモノモノしく始まる。かと思ったら非常に情けないような男の嬌声が続くので呆気にとられる。
聞いてて楽しい音楽ですね。







Nurse with wound + Whitehouse/「The 150 Murderous Passions」

本当のアルバムタイトルはすごく長い。割愛。
ロック。ハーシュ。ジョン・ケージとサン・ラが一緒にセッションしてるアルバムがあるんですが、それと同じくらい混ざり合ってない。
同じくらい良い。
なんか知らんけどジョン・ケージとサン・ラのアルバムはノイズなんですね。サン・ラは宇宙の人だからまあ必然なような気もしますが。




 俺がノイズミュージック聴くのは、俺がキリスト教にハマっている時期とかぶるんですね。
2007年くらいですね、ジッドの「狭き門」読んで非常に感銘を受けてキリスト教徒になりかけた時期がありました。すごかったあの時は。壁にルーズリーフに書いた十字架の絵をはってました。色鉛筆で色塗ったりしたやつ。で、その時はTGとメルツバウ聴きまくってた。だいたいおんなじ曲なんですけど。
大友良英のノイズ系のアルバムも聞いてました。
 で、2010年はハーシュじゃない方のノイズを聴こうと思います。

2010年1月21日木曜日

虫はすごい。
俺たち人類は虫をよく馬鹿にしてるけど、虫からしてみれば人類なんて眼中に無いから、馬鹿にされても全く動じてない。
ゴキブリが嫌いな人が「なんで生きてんの?まじで早く絶滅して欲しい」っていってるのをどこかで聞いたことがあるんですが、実は俺たち人類の方が早く絶滅します。
あいつらはすごい。あいつらは殺虫剤とか効かないし、有効な殺虫剤があってもすぐ進化して無効に出来る能力を持っている。俺たちはまだイペリットガスにも勝てない。絶滅させるしか防ぐことはできない。俺たちは進化が遅すぎる。
虫ヤバイ。
虫は、どうしても生きてる。俺たち人類は「なんで生きるか」を一生懸命考えてしまうけど、虫はそんなこと数万年前に結論を出してる。だから虫は動じないじゃないですか。たとえば、バッタの足持ってると、バッタは足を自ら切断して、我々(外敵)から逃げる。俺はすごいと思う。俺にはできない。怖い。痛い。バッタは生きるためだったら、他にいくらでも逃げ出す方法はありそうものなのに、臆せずに足を捧げる。このバイタリティは悟ってないと持ち得ない種類のものじゃないだろうか。
超高等生物虫。俺たち人類からすれば虫は神。
虫を見習わなきゃいけない。イカロスは鳥を見習う前に、カブトムシを見るべきだったんじゃないか。
力だってすごい。俺は小学生の時、NHK教育の生物の番組を見ていて本当に驚いた。アリが自分の体重の三倍のものを運ぶ能力があることに。これは本当にすごい。人間は本来能力の30%しかつかえていないが、アリは100%使えてる。

Huong ThanhとNguyen le

Huong Tanh

 Huong Tanh(フン・タン)は1960年、ベトナムのサイゴンに生まれた。父親は、サイゴンで盛んだった近代演劇「カイ・ルォン」の役者。1977年にフランスへ亡命。ヨーロッパを代表する越南歌手。

ヴェトナムの歌は、言葉の発音と強い関係を持つ。ベトナム語は6つの声調を持ち、高い音の発音の差で意味が全く違う。フン・タンは伝統的なベトナム音楽の歌い方を体現する。正確で装飾的な音調のわずかな変化。

 10歳の時、フン・タンは演劇の勉強をし始めた。彼女の家系はみんな有名な俳優だったからだ。13歳の時、彼女はサイゴンの様々な音楽と演劇の学校で勉強した。16歳の時、はじめて人前で歌った。

 1977年に、パリで「カイ・ルォン」の劇場が作られてから、彼女は優秀な俳優と一緒に「カイ・ルォン」の舞台に参加した。その俳優たちの中には彼女の父親もいた。1995年に彼女はジャズ(彼女はこの音楽に今まで触れたことがなかった)の世界にいたNguyen Le(グエン・レ)と出会う。
 彼女たちの冒険が始まった。バンドは、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、ポルトガル、イギリスの有名な音楽祭で演奏した。1996年に出したCD(tales of viet-nam)は国際的な批評誌から熱心な返答を受け取った。

フン・タンのオフィシャルサイトより(訳俺)

Nguyen Le

Nguyen Leは1959年フランス生まれのベトナム人。
ジャズ・ミュージシャン。ジミ・ヘンドリックスのカバーアルバムも出してる。坂本龍一の影響を受けてるらしい。


・ベトナム語の方言は大体3つある。中部・北部・南部。北部方言の声調は6つ。南部は5つ。
北部と、南部では民謡の音階が違う。

・アメリカには、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のウエストミンスターに大きなベトナム人コミュニティー(30万人)があり、そこではアメリカのポップスにベトナム音楽の要素を加えたポピュラー音楽が大量に制作されている。

フン・タンとグエン・レの共同作業

一言で表すならば「ジャズ+ベトナムの民謡」である。一般的には「ワールドミュージック」に分類されがちだが、ワールド・ミュージック=英米のポップス+各地の民族音楽とするならば、フン・タンとグエン・レの音楽はそれとは少し違う。レのギターを中心として、より演奏性の高い音楽である。
 (・・・)
 フン・タンとグエン・レの「ジャズ+ベトナムの民謡」は、単なるすりあわせではない。よく聞くとレは、自分のギターでベトナムの民族楽器「ダン・バウ」に似た響きを意図的にだそうとしているし、民族楽器を担当している他のミュージシャンは、ベトナムの民族楽器でジャズ特有のフレージングを模倣している。
 フン・タンとはいうと、ジャズの歌唱法に影響を受けたことはないとのことだが、南部の出身でありながら、北部や中部の民謡を歌っている点が、実は相当大胆な試みであるらしい(・・・)つまり、彼らの音楽は、彼らが理想とする芸術上の「ベトナム」でないかと思われる
昼間賢,2009,「フランスのベトナム移民の音楽 新たなアイデンティティーの形成へ」

 音楽の授業で聞いて、すごく良かったのでオススメしたい。










フン・タン「ドラゴン・フライ」(2001)


・民謡が歌われている。このアルバムを聞いて感動している自分はとてつもなくアジアで生まれたんだ、っていう感覚。バックで演奏されているのはフージョンのバリエーションではあるのだけれど、声なのかなんなのか知らないけど、経験してない原生林とか、フルメタルジャケットで見た風景とか、地獄の黙示録で見た長大な川が音の前に見えてくる。あと帽子。変な帽子。ベトナムのやつ。あの帽子がすごく欲しくなった。あの帽子かぶって釣りしながらこのアルバム聞くことができたらもう一度留年してもいい、そう思った。親とかもう関係なくなって、世界人類の一員であることを考えてしまうくらい突き抜けている。確からしいのですが、ベースはリチャード・ボナ。


フラジャイルビューティってアルバムに入ってる曲

2010年1月17日日曜日

エリック・ロメールが死んでた。



多部未華子かわいい
最初見たときは全然かわいいと思わなかったけど、40分前からずっと目が離せなくて
レポートが書けない。
本当に可愛い。
やばい
夢の中で見た宮崎あおい以来の衝撃(2007年度)
多部未華子と同じ大学に行きたい。
同じ授業を受けたい。
卒論のテーマを多部未華子にしたい。
ああ本当に可愛い。
2006年にタイムスリップして、多部未華子の出てるテレビを全部録画したい。

CM2

 多部未華子のCMがすごく心に響いて何かもやもやとする。
CMが結構好きで、といっても映像だったら何でも好きですが、よくYOUTUBEで見る。
大半がつまらないCMだけど、そのうちいくつかは本当に素晴らしい。
CMの長さは日本では15秒と30秒と、長いCMで、1分だ。1分のCMは1990年前半から出てきたから比較的新しい。(確か広告批評にそう書いてあった)
その時間で、クリエイターは企業の広告をしながら、また際立つための何かを加える。
それは、物語だったり、美しい風景だったり、または目新しい映像のトリックだったりするのだけれど、共通するクリエイターの腕の見せ所は、時間の短さゆえの省略の方法だろう。
 杉山登志という1960年代に活躍したCMディレクターがいて、資生堂のCMやなんかを監督していたのだけれど、その映像を見ていてやっぱり思うのは省略の仕方は今にずいぶんと受け継がれているなぁということだ。「資生堂 海岸情報」のCMで、映像は全体を映さずに部分をつないで全体を想起させる。
 それはたぶんCMのつなぎの基本で、たとえば、物語もそうやって語られる。

 多部未華子の恋愛物語はモンタージュ技法によって語られる。映像そのものはすごく不安定で、散漫な印象だけれど、音楽によって統一されている。われわれが連想する形で物語は補完される。
 もはや物語ではなく思い出だ。すごくセンチメンタルなことはすべからく断片の集合だ。
断片と断片の間の接着剤は我々のほうで持っているのだから。
音と映像は、共謀して我々の郷愁を引き出そうとする。


CM


多部未華子がすごくかわいい。
彼女が17歳のころの思い出で、高校を卒業して東京の大学に入学して、1年目の帰郷。
岡田君は浪人して、予備校通いで、うだつの上がらない日々を送っている。
見かけて、思い出したけど、もうずいぶん前のことのような気がして、覚えてるか不安だからそのまま通り過ぎようとするんだけど、「当たって砕けて」みる。
余韻がいいです。一年目の根拠は岡田君の使っているヘッドフォンで、同じだから。




伝説のCMディレクターと言われる杉山登志監督のCM

監督:早川和良。JR東海の「エクスプレス」シリーズ演出してます。
campKAZのホームページは割と見ごたえがある
それにくらべて操上和美のホームページは全然見応えがない。

ジョナサン・グレイザー監督

2010年1月16日土曜日

コンピューターウイルスを殺した。
殺虫剤をまくみたいに、ウイルス対策ソフト(マイクロソフト社製)でスキャンしたら
馬鹿だから蟻みたいにコロコロと釣れた。
そしてクリックするとどんどん死んでいく。
あっけなく静かで断末魔の叫びなんてない
あたりまえだけどあまりにあっけなくも死んでいくものだから
感傷的になる
ベルベット・アンダーグラウンドの曲で「candy says」の歌詞に、

青い鳥が肩ごしに飛んでいくのを眺めよう
鳥たちが通り過ぎるのを眺めよう
私が年老いたとき、
私に見えるのは何だと思う?
私から立ち去ることができたら

というフレーズがあって、始終リフレインしていた。

後悔していないつもりだけど、
(実際起動できなかったソフトが復活したり良いことはたくさんあった)
そのほとんどが何の罪もないウイルス、例えれば良性腫瘍だったので
腑に落ちない。
いやな気持がする

2010年1月15日金曜日

 コンピューターウイルスにも良いウイルスと悪いウイルスがいると思う。
ちょっといたずらするくらいで殺すには忍びない。
どうせエロ動画くらいしかないパソコンだ。
いじめられてばかりいて、卑屈になっているコンピューターウイルスにこのパソコンの一部でも提供しようということの何が悪いんだ

2010年1月11日月曜日

リアル

A
 「ワタクシ、人文社会系の大学3年生です。昨日は久しぶりに高校時代の友人と新年会でしこたま飲みまして、生来下戸なものですから、後半の記憶などないのですが、楽しかったことだけ覚えてます。もう就職活動も本格化しまして、1年以上続けた駅前の書店でのアルバイトもやめました。ああ、バイト先の友達から聞いたんですが、キャノン関連会社が新卒試験先送りしたみたいですね。いや、今年はホント大変そうですね。僕も公務員試験受けようかな。実はね、ひそかに勉強しているんですよ。1,2年生の時に単位じゅうぶんとっちゃったんで去年は結構暇だったんです。だから退屈しのぎに少しかじりました。
 料理ですか、最近は金欠なのでよく作ります。部屋の模様替えをしまして、いろいろ買い物しちゃったんですよ。ソファとか、買いました。ikeaです。そんな高いものは買えませんから。サークルは映画サークルに所属してます。でも、頻繁にはいかないで時々立ち寄るくらいです。時々友達が映画撮ろうって言うんですよ、そんなとき僕はいつもカメラの後ろで撮影してる風景を見てます。特に何もしないんですけど、大学生活してるなぁって気になってきて、そのまま、映画っていいなってホント愚にもつかないこと思ったりします。いや、全然映画詳しくないんですけどね。好きな映画は…やっぱり「シンドラーのリスト」かな。皆さんもぜひ見てください。スピルバーグやべぇってなるんですよ。モノクロでも飽きずに見れるモノを作る、その才能すごくないですか?
 そうそう趣味の話ですけど、最近カメラを買いました。LOMOっていうやつ。ヤフオクで安く手に入れまして。今はやってるじゃないですか、トイカメラ。それです。もうフィルム2本もとりました。まだ現像してないんですけどね。」


B
 「ワタクシ人文社会系の大学2年生です。三回生です。昨日はドラクエをやっていました。一昨日はドラクエをやってました。いやもう、曜日感覚というかいったい何日たってのかよくわからないんですよね、寝たい時に寝て、起きたら次の日が始まるから。もうあしたは学校始まるんですよ。たぶん。今日11日ですよね。ああ、明日提出するレポートまだ書いてないや。いいかな、どうせ単位取れそうにないし。俺も結構やることたくさんあるんですよ、部屋の掃除とか。一度もやったことないんですが。やる気はあります。時間がないんだよ。レポート書かなきゃいけないし。掃除しないんですよ。ゴミの出し方がわからなくて。生ゴミあるじゃないですか、あれってどう処理したらいいんですか。ずっと放置してたら青色の塊になっちゃったんで、燃えるゴミですか。まぶしいな。いやにまぶしい。寝てないと目が痛くなるんですよね。それとも、もう2週間以上コンタクトつけてるから目が死んだのかな。前に目が死んだんですよ。二日ねたら治りましたけど。」

触れたら最後、日本全土がハルマゲドン

 2日間かけてドラクエ3とドラクエ4をクリアーした。
どちらもリメイク版で、3はスーファミ、4はプレステだった。

ドラゴンクエストⅢ

 物語の途中で、妖精の村に行くんですが、妖精たちは我々に対して非常にそっけないんです。
行方不明の妖精の消息とかわざわざ探しに行っても、全然その態度は改善されません。
なんというか、切ないです。
 スーファミのリメイクしかプレイしたことないんですが、ゲームのバランスとかは良くできていて、RPGとしての面白さでは一番なんじゃないでしょうか。ちなみに僕は1~6までしかやった事ありませんが。
 不死鳥ラーミアに乗っているときの音楽がいいです。youtubeでFC~PS2、N響の音源を聞いたんですが、一番はFCじゃないかと思いました。やっぱりすぎやまこういちがFC音源での再現性を考慮に入れてスコアを書いたからなんですかね。わかりませんが。

ドラゴンクエスト4

 CMがかなり印象的です。プレステのリメイクでは3Dになってて、長時間プレイしていたので若干気持ち悪くなりました。いちいち視点を操作しなきゃならんのでめんどくさいです。これにかんしては本当にFC版の方が良い。
 物語は好きです。でも、天空シリーズでは6の方がいいと思います。しかしながらゲームシステムでは4の方が優れていると思います。
 FC版で技術的に無理だったアニメーションには常に既視感がまとわりついて、自分の想像力が技術を補完していたのだなと感じた。

どちらもチュンソフトの中村光一がディレクションしています。

FC版ドラクエ3の容量は256Kバイト、ドラクエ4は500Kバイトです。
エロ画像1枚分の容量より少ないことには、非常に斜めからですが、感動してしまいます。
エロ画像一枚以下で、48時間を浪費してしまっていることになる!
でも、全角文字2バイトだから、容量エロ画像以下感動電影少女以上なんてものはざらにあるのか。ドストエフスキー「罪と罰」の英訳(プロジェクト・グーテンベルグ)は1.1メガバイトです。「罪と罰」より容量が少ないドラクエ!だからどうしたことはないですが。

 ドラクエ4のエンディングは非常に切なくて、記憶に残ります。
坂口安吾の「教祖の文学-小林秀雄論」には、安吾と小林秀雄が二人で電車に乗った時の思い出話が書かれているんですが、これと同じ情景を小林秀雄もまた書います。坂口安吾が無人のプラットフォームにぽつんと立っている姿がまるで「風博士」のようだったと。
その文章を想起せずにはいられません、ドラクエ4のエンディングを見るときは。
 誰もいない村で、一人ポツンと立っている主人公。ドット絵だから、間の抜けた表情をして何もしゃべらない。サルトルがどっかで書いてましたが、「世界は僕以外で満杯だ」とはまさにこのことです。自分がテレビ画面の前に座っていて、ゲームの人生が仮の人生でしかなく、自分はまだ何も成していない。自分のリアルな立ち位置を反省させられます。
 全体、RPG、いやドラクエシリーズは子供のためのものだ。年を重ねるにつれて選択肢は狭まってくるし、別の選択肢に対する憧憬はあってもそれはかつてのそれであって、選択することはもはやかなわない。もはや再体験でしかなくなっている。

2010年1月7日木曜日

写真





私がとりました。
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今年見た映画で面白かったの

 新作とか全然見なくて、借りてきて、プロジェクターやらテレビやらで見ることが多かった。
ダイハードは3回くらい見た。DVDがあるから。瀬田なつきの「あとのまつり」も最高だった。もう泣いた。とりあえず、スチャダラが好きなんだろう。トリュフォーの映画を思い出した。
 フレデリック・ワイズマンの新作は見なかった(もう最悪ですよ)が、「チチカット・フォーリーズ」を見てやはり最高のドキュメンタリ作家ではないかと。しかし、ワン・ビンの「鉄西区」もそれに劣らず美しく残酷で、カメラの向こうと座って眺めている自分の絶対的距離、ドキュメンタリの限界を思い知らされる傑作であった。
 ヴィタリー・カネフスキの「生きるな、死ね、甦れ!」が傑作だった。いつも渋谷tutayaで見かけてたんだけど、見る機会がなくて、やっとみた。もっと早く見ればよかった。奇跡としか言いようがない。映画でしかないことの憤激。でも、映画撮ってるんだよねっていう、驚異のダブル・スタンダードぶりを見せつける怪作だ。映画の初期衝動?
 またおいおい

ジーザス・クライスト・トリックスター

 おっぱいの素晴らしさについて考えてた。俺は誰にも教わらずにおっぱいの素晴らしさについてわかっていた。小学生のころだ。チャンピオンで連載してた、「オヤマ菊乃助」とか「地獄先生ぬーべー」とかで、おっぱいを見て、何て素晴らしいんだろうと子供ながら思った。
 そして中学生になって真っ赤な頭の中でクシャクシャになったおっぱいを夢想していた。今考えるとそのころ夢想していたおっぱいは最悪なおっぱいで、だから今思うのはおっぱいは性欲ではできていないってことだ。もっと神々しい。

 画家たちは裸婦画で己の理想的なおっぱいを提示してきた。
例えば、レンブラントのダナエ手の甲によって歪んだおっぱい。それは形というよりはむしろ完成された曲線であり、レンブラントは、おっぱいは大きさで選ぶものでないことを証明した。おっぱいとは単に形なのではなく、影やその瞬間の形、我々の思考力によって完成されるシステムなのだ。

 女性はその膨らみがあるだけで私の尊敬と畏怖の対象です。俺は一日としておっぱいのことを考えないことはない。おっぱいは神が創られたもののなかで、一番の傑作だ。
 映画でもそうだ。魅力的なふくらみが画面に映るだけで、ぼくは思い切り幸せです。
おっぱいのふくらみは僕たちの罪すべてが詰まっている。

PTA


フィオナ・アップルのfast as you canのミュージックビデオです。
被写体との距離が非常に近いとでもいいましょうか、ああ、監督はフィオナ・アップルと親しい関係にあるのだな、と感じるMVです。
 最初モノクロで何の伏線もなしにいきなりカラーに変わるんですが非常にその瞬間が美しい。ボケたガラスの向こうに彼女がいて、彼女がそのボケを手でなでると、徐々に顔があらわれてくる。フレームレートが変わる。ああ、映像は被写体と観客の間にカメラがあるのだな、とそれを再確認させられる次第です。
 もう本当に当たり前のことなんですが、その再確認は驚きをもって迎えられます。我々、映像を見るとき、ピントの合ったものを自分の意識の中心とするんでしょう。ピントの合っている部分をしか見ない。映像を見るとき、我々何を見ているのか。見ながら、何も見ていないんじゃないか。だから、ピンぼけの映像にハッとさせられ、何を見ていたのかよくわからなくなってくるんでしょうか。
 何か、不思議な時間の流れを、そこで感じます。MVは音楽が先立つものだから、最初から時間はこれと決められてはいるのですが、音楽とは別の時間が流れている気がします。
 ポール・トーマス・アンダーソンっていう映画監督がいて、フィオナ・アップルのMVの監督も彼なんですが、僕は非常にこの映画監督が好きなんです。
 その特殊な時間の流れは結局PTAの映像すべてに共通することなんですが、長まわしの多用っていう技術的な一言ではなかなかかたづけられない。
 PTAの映画の物語は、毎回多数の人々の人生をかたります。それはすべからく映画の時間を間のびさせますが、そのある意味での退屈さとは違う精神的時間がある。物語のないMVでも、その時間を感じるんだからそうだ。
 PTAの映画にあるのは、嘘くささだ。完全にフィクションで、フィクションであることを主張するような展開だ。「マグノリア」のカエルや、「ブギーナイツ」のモザイクなど。MVでも、あのブラーは、我々が被写体と非常に遠い所にいることに対するちょっとした比喩だったのではないか。

2010年1月5日火曜日

マンガ

 久しぶりに、エログロ漫画読みました。駕籠真太郎の「万事快調」。あれですね、JLGの映画でしょ。あと、登場人物の名前にマヤ・デレンとか、でてきますし、好きなんでしょうね。そういえば1/9からイメージ・フォーラムで、マヤ・デレンを題材にした映画やるみたいですね。音楽はジョン・ゾーン。いいですね。少し見たいですね。
 エログロ漫画は閉じた場所の話ではないですよ。もっと広い場所の話です。
たとえば、古谷実の「シガテラ」でいじめっ子を監禁してなぶるシーンあるじゃないですか。あれは非常に陰惨でベタ使って暗くして、悲惨さをうまく演出してたわけですが、駕籠真太郎の漫画ってもっと明るいです。笑える感じですね。ブラックな笑いですが。早見純もまさにエログロですが、彼の漫画は詩的飛躍で溢れ返っておりますよ。萩原朔太郎の「天上縊死」みたいなロマンあふれる残酷さです。
 恐怖マンガはもちろん好きで、楳図かずおをリスペクトしているんですが、もしかしたら日野日出志とかムロタニツネ象の方が好きかもわかりません。やはりね、御茶漬海苔や伊藤潤二とかのSFもいいんですが、やはり非道徳で、背徳センスたっぷりの方が好きですね。それも、趣味的な開放感ある残酷さの奴ですね。

カールじいさんの空飛ぶ家












カール・ゴッチ


 ピーター・ドクター、ボブ・ピーターソン監督のアニメーション。3Dで見ました。2010年最初に見た映画としてはふさわしいのではないかと。
冒頭の、カールとエリーの出会いから別れまでのシーンが本当に素敵でした。
そのシーンの次、俯瞰のショットによっていきなり我々は突き放される。
カールじいさんの一生が衆目の下に晒されるわけですよ。非常に冷徹な目でもって、見つめられるのです、彼が幼いころに見たニュース映画のように。
明らかに唐突な展開は、つまり演出の方向性として、経済的なレイアウトっていうのを意識したからだと思われ。過程をどう描くかではなく、結果をつないでいくことによって、空飛ぶ家っていうアイデアから出た空想の断片をうまくつなぎ合わせていけたのではないかと踏んでおる次第です。