中田秀夫監督の「リング」を見た。
非常に面白く、怖く、楽しんで1時間30分を過ごした。
「リング」は都市伝説もので、クライブ・パーカー原作の「キャンディマン」や黒沢清の「花子さん」など、モダンホラーで都市伝説をテーマに据えるのは少なくないのではないだろうか。
「リング」では都市伝説の源流を探るミステリー・ロードムービーの体を取っていたが、結局どのホラーでも大体同じなのは、主人公たち自身が現況を作ってしまっているところで、そのような意味でいえば「リング」は正統なホラーだ。
黒沢清監督の「叫」を見た。
これは傑作だった。
黒沢清の映画に出てくる幽霊は重い。存在感がある。そして何らかの異変に気付くまでの、妙なタイムラグがある。
黒沢清の映画を見るときはどうしても、「監督:黒沢清」という意識でもって見てしまう。
黒沢フィルターというべきものがあり、そこから見るからどうしても黒沢映画に共通する前提みたいなもの意識せざるをえないわけで。
映画を評価するときの心構えとして、「ちゃんと映画を見る」ということがあると思うのだが、中田秀男作品を全く見ていない状態で「リング」を評価することは非常に難しい。
「ちゃんと見る」ことは画面を隅々まで見ることで、音にも意識を向けることだ。
オーディオ評論家に沖野忠彦という人がいる。その人が書いた「レコード演奏家論」に書いてあって共感を覚えたのは、どのような環境で聞くのがあるレコードにとって正解、つまり演奏家や録音者の意図を正確に把握すること、なのかを考え、その環境づくりを能動的にするのが「レコード演奏家」であると。
映画においても映画を見る段階で、何故このように作ったのかを考えるのは必定でありそれこそ映画に忠実であることだと思う。