日本語ラップを楽しむためには、リリックをフィクションとして楽しむことが必要だと思う。
後年反省されたことだが、日本語ラップはまずコメディとして認知された。スチャダラパーや、LB系のラッパーたちはリリックに喜劇的な要素を取り込み(例えばSDPの「ツイてる男」)90年代半ばのヒップホップブームを作った。1990年にLB Nationが結成され、94年に「今夜はブギーバック」が発売されるのだが、それとは別に1996年にECDが「さんぴんCAMP」を野音で開催する。さんぴんに出演した面々はLB系のラッパーとは真逆と言っていいラップを歌った。といっても一枚岩ではないから、一概にはいえない。しかし、LB系のラッパーとさんぴん系のラッパーをその当時の日本語ラップの2大勢力として対立させるのは間違いではないと思う。音楽性で言えばさんぴん系のラッパー、ジブラやGORE-TEXはマッチョイズムのギャングスタラップを手本とし、LB系のラッパーSDPやTokyo No.1 Soul SetはDe la Soulやa tribe called questのヒップホップを手本としていただろう。いとうせいこうの「業界くん物語」から1990年代末までこのように、海外のヒップホップを手本としてほぼ地続きに日本語ラップの状況は形成されていった。
日本語ラップにとってもっとも重要だった年は1998年だろう。1998年以前以降で分けられるくらいに決定的な2枚のアルバムが発表された。shing02の「緑黄色人種」と、tha blue herbの「stilling still dreaming」である。2枚のアルバムはともにリリックの面でそれまでの日本語ラップとは断絶していた。
ヒップホップというカルチャーは郊外文化である。これは、どの国でもそうで例えばフランスのヒップホップグループであるNTMはパリ郊外セーヌ・サンドニ県で結成されたし、日本にヒップホップ文化が入ってきた原因の一つである映画「wild style」はアメリカ郊外が舞台である。自分の住んでいる場所でファミリーを作るのも、自分の境遇を歌うのも郊外文化としてのヒップホップの特徴の一つであるだろう。日本にはまず音楽としてのヒップホップ、つまりラップだけが音楽ジャンルとして入ってきた。ヒップホップは分解され、ダンス、グラフィティ、ラップそのものとしてまず紹介された。それからそれらの要素がまた合わさるのだが。
ブルーハーブは郊外を強調した。郊外で生活する自分をドラマ化して、自分自身を歌った。はじめて日本で文化としてのヒップホップを歌ったのはブルーハーブではなかったのかと思うのです。
tha blue herbが物語として自分を歌ったのであれば、shing02の「緑黄色人種」は物語自体を歌った。
それまでの物語が、コメディやマッチョイズムの「ラッパーを演じること」を指向していたのに比べshong02はより真摯で政治的な物語を指向した。
日本語ラップは1998年以降多様化していった。アンダーグラウンドとオーバーグラウンドの乖離はさらに加速して、アンダーグラウンドのリアルは一般的なリスナーにはフィクションとして捉えられ、またリスナーの求める音はレベルが高くなっていく。
つかれたのでやめます
2010年3月30日火曜日
2010年3月29日月曜日
香港ポップ
J-POPにならえば、K-POPとでも言うのか。でも韓国もK-POPか。
いずれにしてもどこの国にもポピュラー音楽は人気で、それは香港でもそうです。
ポピュラー音楽というのは、どこの国でもほとんど同じでアジアのそれであればほぼ同一の音楽性を持つと言っても差し支えないくらいではないか。しかしながらJ-POPが日本人にしか開かれていないのと同じように香港ポップスもまた日本には紹介されていない。J-POPと香港ポップスがほぼ同一の音楽性、例えばコード進行だったりしの内容だったり編曲の仕方だったり、を持つならばどうして香港ポップスを聞くのだろうか。それはひとえに、中国語の発音の妙だ。日本語ならばこのようにして歌の高低がつくであろうメロディーでも中国語ならばその限りではない。
また、ポピュラー音楽発展の歴史も日本とは違う。だから、同じような曲でも香港ポップス独自の進行、信仰を垣間見えるような気がする。そんなことも香港ポップスを聞く理由になります。
my little airport - zoo is sad, people are cruel
はじめて聞いた香港ポップス。メンバーは作詞、作曲の阿PとボーカルのNicole。渋谷系みたいな音です。渋谷系みたいな声です。
めちゃくちゃ傑作な感じではないですが時々聞きたくなるアルバムです。阿Pってのは、魯迅の阿Qを意識しているんですかね。「阿」って言うのは接頭辞みたいですけど。
2007年のアルバムです。ベストみたいなものです。
程々のキャリアありですね。英語版Wikipediaに記事がありますね。
at17 - Threesome+at17 2002-2007 新曲+精選
女性二人組によるアコースティック・ポップユニット。
しずかで落ち着いて聞ける音楽です。いいですね。
繰り返しては聞けないですが。
at17というユニット名はジャニス・イアンの「at seventeen」からとったものらしいです。
ポップスです。何でもかんでも詰めて素直に音を楽しめるようにする音楽です。受動的に楽しめます。この受動的というのがポピュラー音楽の最大の利点にして欠点だと思われ。ファーストフードみたいなものです。
僕は好きです。
いずれにしてもどこの国にもポピュラー音楽は人気で、それは香港でもそうです。
ポピュラー音楽というのは、どこの国でもほとんど同じでアジアのそれであればほぼ同一の音楽性を持つと言っても差し支えないくらいではないか。しかしながらJ-POPが日本人にしか開かれていないのと同じように香港ポップスもまた日本には紹介されていない。J-POPと香港ポップスがほぼ同一の音楽性、例えばコード進行だったりしの内容だったり編曲の仕方だったり、を持つならばどうして香港ポップスを聞くのだろうか。それはひとえに、中国語の発音の妙だ。日本語ならばこのようにして歌の高低がつくであろうメロディーでも中国語ならばその限りではない。
また、ポピュラー音楽発展の歴史も日本とは違う。だから、同じような曲でも香港ポップス独自の進行、信仰を垣間見えるような気がする。そんなことも香港ポップスを聞く理由になります。
my little airport - zoo is sad, people are cruelはじめて聞いた香港ポップス。メンバーは作詞、作曲の阿PとボーカルのNicole。渋谷系みたいな音です。渋谷系みたいな声です。
めちゃくちゃ傑作な感じではないですが時々聞きたくなるアルバムです。阿Pってのは、魯迅の阿Qを意識しているんですかね。「阿」って言うのは接頭辞みたいですけど。
2007年のアルバムです。ベストみたいなものです。
程々のキャリアありですね。英語版Wikipediaに記事がありますね。
at17 - Threesome+at17 2002-2007 新曲+精選女性二人組によるアコースティック・ポップユニット。
しずかで落ち着いて聞ける音楽です。いいですね。
繰り返しては聞けないですが。
at17というユニット名はジャニス・イアンの「at seventeen」からとったものらしいです。
ポップスです。何でもかんでも詰めて素直に音を楽しめるようにする音楽です。受動的に楽しめます。この受動的というのがポピュラー音楽の最大の利点にして欠点だと思われ。ファーストフードみたいなものです。
僕は好きです。
2010年3月27日土曜日
style: Free Style
Yo yo yo
it's image lyrics イマジナリーライン否定 エマージェンシー点滅 landscape 八王子
vanishing point my home
tokyo suburbs 西東京 マイタウン 北関東から上京 状況今の俺未だ佳境に至らず颯爽と疾走 午前三時の憂鬱 横たわる路上に レール敷いたお前 俺横切るその前お前の5mile先を行く 一様に日常を生きる歯車に赤いハイヒールで武装する女 赤いマルボロの煙紫煙で否定する俺 接続詞間投詞句読点駆使するディスコミニュケーションにディス hum?
MSCのMCであるKANの優勝した大会。
KANがすごくカッコイイです。
it's image lyrics イマジナリーライン否定 エマージェンシー点滅 landscape 八王子
vanishing point my home
tokyo suburbs 西東京 マイタウン 北関東から上京 状況今の俺未だ佳境に至らず颯爽と疾走 午前三時の憂鬱 横たわる路上に レール敷いたお前 俺横切るその前お前の5mile先を行く 一様に日常を生きる歯車に赤いハイヒールで武装する女 赤いマルボロの煙紫煙で否定する俺 接続詞間投詞句読点駆使するディスコミニュケーションにディス hum?
MSCのMCであるKANの優勝した大会。
KANがすごくカッコイイです。
2010年3月22日月曜日
ファッキン・クラッシック・カントリーロード

例えば道はただずっとそこにあるだけで、その道を行き過ぎる僕たちのことなんて何も知らない。
だから道は茫漠として単にどこかとつながっている。
東京は郊外の、幻の想像の街にも道はその体を地面にくっつけて主人公たちが行き来するのを黙って支えているだけで彼らがこれから作っていくだろう物語になんの感傷もせず黙してなんの干渉もしない。
だけど、そんな何の変哲もない道を見るとき、僕らは果たして無限に続いてゆくだろうその強大な全体を想像せずにいられないのだ。この位置からは見えないその連続の無限に分岐するロードは故郷にも我が仮の宿にも、これから先出逢う人の家にも、最近気になるあの子の家にも、続く。そして物語は想起される。幻影の、光を通して初めて見える風景の中に現実の風景を重ねあわせる。僕らは確かにここにもいるし、あの彼方にもいる。道から建物は増殖していく。いつのまにか、都市へ変貌する。そしてそこに住む人の数だけ未完成の物語は始まる、あるいは続いていく。誰かが都市の全景に感動し、また他の誰かが感動する。図書館に行き、別の物語を読み繋がっていく。
2010年3月18日木曜日
キノピオのいじわるさ
つい先日のことですが、スーパーマリオ64をクリアーしました。
スーパーマリオをプレイするのは久しぶりで、マリオとクッパの良いライバル関係にもマンネリズムの安心を感じていたのですが少し気になることがありました。
スーパーマリオ64で切実なのはキノピオだけだということに気づきました。
マリオもピーチもクッパ達モンスターも、物語をそれと了解した上でそれぞれの立場のキャラクターを演じているのですが毎度のことキノピオだけは切実です。キノピオは、もうほんとにアホなんですよ。ゲームのキャラクターだってことをわかってない。ひとりだけ、「マリオさん、はやくクッパをやっつけちゃってください。」なんて言ってるんですよ。違うんだ。クッパをやっつけるのが目的じゃないんだよ。クッパだって自分でそういってる。もう、アホを通り越して意地悪だよ。やめてくれ、クッパの悪口を言うのは。マリオさんは、ピーチのキスだけのために働いてるんじゃないんだよ。
スーパーマリオをプレイするのは久しぶりで、マリオとクッパの良いライバル関係にもマンネリズムの安心を感じていたのですが少し気になることがありました。
スーパーマリオ64で切実なのはキノピオだけだということに気づきました。
マリオもピーチもクッパ達モンスターも、物語をそれと了解した上でそれぞれの立場のキャラクターを演じているのですが毎度のことキノピオだけは切実です。キノピオは、もうほんとにアホなんですよ。ゲームのキャラクターだってことをわかってない。ひとりだけ、「マリオさん、はやくクッパをやっつけちゃってください。」なんて言ってるんですよ。違うんだ。クッパをやっつけるのが目的じゃないんだよ。クッパだって自分でそういってる。もう、アホを通り越して意地悪だよ。やめてくれ、クッパの悪口を言うのは。マリオさんは、ピーチのキスだけのために働いてるんじゃないんだよ。
かぜがなおった
ふっかつした!
きせきてきなせいかん!
おれはたちなおった!
きせきてきなせいかん!
さんびゃくろくじゅうななにちめの
おれはふっかつした!
うおう
うおう
にししんじゅくではしゅうたいをさらした
なのかまえのはなしだ!
しかし
しかし
おれはふっかつした!
なおった!
ぱそこんにむかって
さけぶぜ
きせきてきなせいかん!
せくさろいど
おれはふっかつした!
さんねんまえまでたいむすりっぷした!
そして
やりなおすことができた!
ちゅういをかんきした!
おれはずりずりしていた
じつはむかしからそのようなことをおもっていたのですがことばをうまくつかえないのでなかなかいいだせずにいたことなのだ、しかし、しかし、しかし、いまやたいむすりっぷした。やったー、そしてちゅういをかんきした!あたまのなかでがんばった。しにものぐるいだ。やったー!なおったふっかつした。さよならしなかった。おれはかった。いろいろかったとにかくしょうりせんげんをした。
きせきてきなせいかん!
おれはたちなおった!
きせきてきなせいかん!
さんびゃくろくじゅうななにちめの
おれはふっかつした!
うおう
うおう
にししんじゅくではしゅうたいをさらした
なのかまえのはなしだ!
しかし
しかし
おれはふっかつした!
なおった!
ぱそこんにむかって
さけぶぜ
きせきてきなせいかん!
せくさろいど
おれはふっかつした!
さんねんまえまでたいむすりっぷした!
そして
やりなおすことができた!
ちゅういをかんきした!
おれはずりずりしていた
じつはむかしからそのようなことをおもっていたのですがことばをうまくつかえないのでなかなかいいだせずにいたことなのだ、しかし、しかし、しかし、いまやたいむすりっぷした。やったー、そしてちゅういをかんきした!あたまのなかでがんばった。しにものぐるいだ。やったー!なおったふっかつした。さよならしなかった。おれはかった。いろいろかったとにかくしょうりせんげんをした。
2010年3月17日水曜日
おんがく
The Stalin - Stop Jap高校生の時にロマンチストをよく聞いていました。
今ではあまり聞かないタイプの音楽で、しかし昔はよく聞いていた。
じゃがたらとか村八分、INU、GAUZEとか。
戸川純を聞いて、無意味に興奮していたことを思い出します。
最近いいなあと思ってよく聴きます。
俺の聴取傾向はここらへんから狂ってきているのではないかと。
それまでは、プログレロックとか、洋楽の普通のパンクが好きだった。
戸川純 - 好き好き大好きもろに80年代なヤプーズ、ゲルニカ、戸川純は僕の苦手な音楽だったのですが、だんだんと好きになってきました。
アイドルと歌手の中間の曖昧な立ち位置だからこその歌詞や曲調であるような気がします。
アイドルがアイドルを歌うような。
玉姫様の歌詞や、「好き好き大好き」の「愛してるって言わなきゃ殺す」っていう歌詞は、戸川純ならではです。
リュックサックです。
SLEATER KINNEY - SLEATER-KINNEY最近知った。
俺がハードコアパンクをまた聞き出すようになったきっかけ。
といっても、このバンド自体はそんなにハードコアではないのですが。
The Last Songのかっこよさ!
シャウトです。
Taylor Deupree - Landing電子音楽。12kの設立者であるtaylor deupreeのアルバム。
静謐で、その静けさは音が常に鳴っているからこそ感じます。
音が水飴のように伸びていっていつの間にか他の音に変わっている。音楽でない音が突発的に挿入され、その音は音楽に半ば強引に組み込まれます。無理矢理に音同士をつなげているかのようです。
音楽の断片は、その元の様々な音楽を想起させる。
一つの物語があるようで、それにしたがって曲が構成されているかのようです。
Various Artist - Yasujiro Ozu HITOKOMAKURAand/OARというレーベルの「監督シリーズ」の第二弾。
「監督シリーズ」というのは俺がかってにつけた名称です。
映画監督にまつわる音楽のコンピレーションアルバムです。
第一弾はアンドレイ・タルコフスキーらしい。聞きたい!
第三弾はアントニオーニの「愛の不毛三部作」らしい。聞きたい!
このアルバムは小津安二郎の映画におけるpillow shot、つまりシーンとシーンの間に挿入される風景のカットにフォーカスを当てて作られた楽曲群です。フィールドレコーディングです。
個人的な記憶の内にある場所を想起させる音。そして連想する小津安二郎の映画の風景は共有可能で、個人的な記憶は連想される映像によって統御されているかのようです。
アーノルド・シェーンベルクは「映画の一場面への伴奏音楽」という存在しない映画のための音楽を作曲しましたが(ストローブ=ユイレがこの音楽のための映画を作ったので存在する)、シェーンベルクの試みとはまた違った、音楽に対する映画的アプローチとでもいいましょうか。
音楽と映像は並列関係にあります。例えばストローブ=ユイレの『アーノルト・シェーンベルクの「映画の一場面への伴奏音楽」入門』が音楽によって想起された映像の映画化なら、このアルバムは映像によって想起された音楽のアルバムで、しかしながらどのシーンによっての想起なのかは曖昧であるために、映像は音楽に従属していない。おわり
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