2009年6月7日日曜日

imoutoid

 明日「ヴィデオを待ちながら」を見に行こうと思ってググったら、imdkmが書いているブログが引っ掛かり、そこでimoutoidについて知った。カッコ良い。いいな。と思ってググったら死んでた。しかも数日前に。人の死というものは不思議なもので、全く今まで知らなかったしなんとなく調べてみただけの僕をこんなにも空虚にさせる。

DE DE MOUSE好きは必聴だ。
ほかの音源もなんだか偲ぶような形でネットに上がっているのでぜひ聞いてみてほしい。

 そうして深夜から夜明けまでずっとimoutoidの曲を聴いていると、何だか本当に残念で泣きそうになってくるのだがそれは結局映画で泣くのと同じで何ら実態のない悲しさだったりする。いろいろ思った。

 例えば現実とネットっていう二つの世界があるとしたら、imoutoidはものすごくネットっていう感じがする。

そうしてimoutoid追悼記事において散見されるのはR.I.Pという言葉だ。何のことかわからない。ピチカートファイブのアルバムのタイトルかな?その実、意味的にはそうでrest in peaceという言葉らしい。

聞いていて本当に楽しさしか感じ得ず、それはワタクシの耳の悪さもあるのかもしれないが、そんな曲を作った人が18で死んでしまったとは思えない。これから日本の音楽を面白くしてくれる人が死んだ。


 そうしてまた散見されるのは、「天才が死んで俺がまだ生きているなんて…」このネガティブさ。もはやネットは世紀末的様相を呈してきているわけだ。ワタクシはまだ何の挫折もしたことのない人間で、たとえばゼミ形式の授業で委縮してしまうような小心者のカッコ悪い男だが、だからこそそのような絶望的心象を彼らと共有できる(と勝手に信じている)のではないか。自分自身の存在の卑小さと比べてしまう。imoutoidはその存在を究極的に近しいもの(たとえば現実の友人よりも)として感じられるからこそ、「自分がまだ生きている」ということに対して奇妙な引け目を感じてしまう。

 サヨナラだけが人生だ。 井伏鱒二の名訳が切なさを補完する。

3 件のコメント:

ヤスハル さんのコメント...
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ヤスハル さんのコメント...

こんなところでまたしょうもないことやっていたのか・・・

imoutoidは2年位前にQくんに教えてもらった。Qが言い得て妙な事を言っていて、「『萌え』という文化が無意識下に存在している世代の音楽」だそうだ。残念ながら、そういう文化が社会に溶け込んでいく過程を目撃してきてしまった我々には作れない音楽。もう持てない価値観。才能じゃなくて、世代の問題だ。
そういう、これから始まる新しい音楽の世界で、先陣切って世にでたのが彼だったのでしょう。

誰であれ、若くして亡くなるというニュースは、本人、それから周りの人の事を考えると、決して明るいもんじゃないね。

perican さんのコメント...

どうも。
たしかに、そうかもしれないですね。
ネットレーベルで曲を発表するのを当たり前にしてしまうっていうのがそもそもよくわからないですもん。もったいないだろっていう。