絶対的に美しく飾られることしか知らない記憶の中にとどまって、最初のうちは反芻され、そのうちにもっと大雑把な年代の記憶のうちに殺されるかつての、そして現在の友人たちは僕をヒロイスティックな感慨へと向かわせる。
「スラムドック$ミリオネア」がそうだったように、「四川のうた」がそうだったように、結局は大都市の全景をとらえたままに個々ではなく全体のうちに物語は収斂される。
そしてそれは決して僕だけの問題ではなく、僕の友人たちにおいても僕は殺される宿命を背負っており、実際考えてみるとそれはセンチメンタルに記述されるものではなく、日常の結果としてそれがただそこにあるだけの話であるのだ。
「物語」の終焉はいつも腑に落ちない。映画はそこで終っているのにやけに登場人物たちの今後が気になってしまう。そうして、そういった愛着を捨てきれない人間たちが、続編という名の最悪の今後(それが最悪かどうかは果たして個人的な問題なのだが)を作ってしまったりする。
果たして現在をいくつ重ねたところで過去のあつみにはかなわない。「スラムドック…」が感動的なのは最後のダンスシーンにおいてホームで「過去」の主人公とヒロインが2人で踊っているところであるのだ。そして「四川のうた」で感動的なのは、過去ありきの現在なのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿