2010年6月7日月曜日

フィクショナル・ロード

 新学期が始まってから早くも2ヶ月が経過した。一年生は高校三年生から大学生になってまだ4ヶ月くらいしか経ってないのに、ずいぶん大学にもなれたように見える。僕は大学生になってもう4回目の春を経過しているのに、未だに三年生で、未だに大学に慣れていない。例えば、家と大学をつなぐ単調な坂道にもまだ慣れていない。その道は次元をまたぐようで、僕には何か壁のようにも見える。これから雲が肥大化していって我々は各々の回数目の長期休みを迎えるわけだが、その休み期間中に誰もいない部室で佇む俺は何も変わっていない。人工衛星のように同じ場所を回り続ける第三者の目だ。僕らの考え方は僕らが一年生の時の四年生だった人たちそのままの考え方なんじゃないかって一度でも考えたことがあるだろうか。昔、誰かがになっていた役割を今僕らが担っている。

 昨日のことだ。いつものように午後四時を少し過ぎた頃に覚醒してあたりを見渡すと扇風機が低く音を立てていた。そして、大学を降りるとすぐにある横に伸びたショッピングモールからは交通整理の怒鳴り声が妙に大きく聞こえるのだった。俺は空を見上げる。雲が空の約六割を占める。直感的に快晴で、梅雨よりも夏を想起させる天候だった。不意に部室の扉が開く。気づいて振り返るが誰もいない。俺の意識はいったいここにいない誰かの元へと吸い込まれていった。空の雲が秒速1mくらいで視界を横切っていく。そのたびに移動する建築物は新しく生まれ変わり、風景は全く違う感情を想起させる。勉強のこと、生活のこと、人間関係について。それらはまるで靴の裏についたガムのように妙に間延びして俺を連想の肉塊へと変化させるのだ。誰もが全く違った環境で、全く違った思考の上で、同じ行動を繰り返しているのだと思うと妙に寂しくなった。

 そして、また扉が開く…。そこにいたのは紛れもなく人間で、Kだった。Kは俺に短い挨拶をすると、持っていた袋の中から菓子パンを取り出しパクパクと食べ始める。俺はその様子を放心しながら見ていた。
「どうしたの。なんかあったっけ、今日」俺は尋ねた。
それに答えず、Kは無心にパンを食べていた。その無心さは目を見張るものがあり、「人間は食うために死んでいくようなものだ」という飲み会の席での誰かの独白を思い出した。未だ扇風機はまわっている。
「映像の編集に、来たんです」とKは独りごちる。その言葉は俺の問いへの答えではないようで、そのまま世界から消えて行くような響きを持っていた。机の上には俺が昨日吸った煙草の骸骨と、村上春樹の「一九七三年のピンボール」が置いてある。Tが読んでいる本だ。表紙の一部分に光があたって俺の目を照らしている。一九七三年。俺が生まれる16年前、2010年の37年前。Kと俺の間にはそのくらいの距離があった。

 部室は三階にあり、その窓からはすぐ下の道がよく見える。その道を俺は窓から身を乗り出し眺め始める。様々な人間が様々な目的に従って歩いている。子連れや作業服を着たプロレタリアアート。そして、学生。彼らにはある一点だけ共通点があって俺には彼らが何を考えているかわからないってことだ、多分永遠に。横を見るとKが部屋の隅にあるパソコンの前に座っていた。こいつの考えていることもわからない。それは幸運だ。しかし、不幸があるとすればそれは俺と誰かの間の距離だけははっきりわかるってことかもしれない。三回目、扉が開く。Yだ。Yは奇妙な男で、彼について俺が知っているのは、彼にとって部室のレーゾンデートルはそこが物置だ、ってことだけだ。いつものように彼は俺達に一瞥もせず、置いていたノートパソコンをカバンの中に詰め込んで去った。

 午後5時、俺は英和辞典をめくって、インドとパキスタンの関係を例に数学を学ぶ。午後6時、辞典を閉じる。Kはいつの間にか去っていた。僕は今日返さなければいけないDVDを見た後、部室をあとにする。午後12時。

 真夜中、マクドナルドのハンバーガーを食べながら多摩ニュータウン通りを海の方向へ歩く。車は光と共に交差して夜を引き裂く。俺はハンバーガーの味の濃さに、冷たい水を欲しながら日々忘却していく。1ミクロン前の感情を、1ミクロン前の風景を、1ミクロン前の風を。
そして、延滞している電気代を。

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