ちょっとした予習気分で梶井基次郎の「蒼穹」を読んだ。梶井基次郎は昭和の小説家で一番有名な小説は「檸檬」だ。日本橋の丸善に檸檬をおいて帰るだけの物語。それに無闇に感動してしまう。静謐で単調な文体で主に語られる内容は風景と同化する自分自身で、彼らにとっていつもの場所はいつのまにか全く別の場所になっている。その変化は極めてアナログ的になされる。そこに僕らは感動している。
「蒼穹」は本当に短い短編で物語も「檸檬」のように、主人公が田舎の村で雲を見ているだけの、こう書くと全く盛り上がりもない、話だ。しかしながら、主人公の感情とあまりにも関係付けられすぎている風景はたえずそのイメージを変化させ、地表を遠く見下ろしている。雲はその伸びやかなイメージから、孤独で不吉なイメージへと落とし込まれる。
そして僕はこの小説を読みながら、映像を頭に浮かべこのような感覚の世界へと没頭しつつ、この感覚に対して限りない欲望を感ずる所存であります。
それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では捲きあがって行った縁が絶えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした雲の変化ほど見る人の心に言い知れぬ深い感情を喚び起こすものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅のなかへ溺れ込んでしまい、ただそればかりを繰り返しているうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂まって来る。その感情は喉を 詰らせるようになって来、身体からは平衝の感じがだんだん失われて来、もしそんな状態が長く続けば、そのある極点から、自分の身体は奈落のようなもののな かへ落ちてゆくのではないかと思われる。それも花火に仕掛けられた紙人形のように、身体のあらゆる部分から力を失って。――ぜひ読んでみてくだされ。それにしても梶井基次郎は理系だったんだよ。確か京都大学の。
それから東大の英文科にいったんだ。
その経歴は、彼の文体と描写に影響与えているのでしょうかね。
引用:
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/430_19796.html
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