2010年3月30日火曜日

japanese hip-hop

日本語ラップを楽しむためには、リリックをフィクションとして楽しむことが必要だと思う。
後年反省されたことだが、日本語ラップはまずコメディとして認知された。スチャダラパーや、LB系のラッパーたちはリリックに喜劇的な要素を取り込み(例えばSDPの「ツイてる男」)90年代半ばのヒップホップブームを作った。1990年にLB Nationが結成され、94年に「今夜はブギーバック」が発売されるのだが、それとは別に1996年にECDが「さんぴんCAMP」を野音で開催する。さんぴんに出演した面々はLB系のラッパーとは真逆と言っていいラップを歌った。といっても一枚岩ではないから、一概にはいえない。しかし、LB系のラッパーとさんぴん系のラッパーをその当時の日本語ラップの2大勢力として対立させるのは間違いではないと思う。音楽性で言えばさんぴん系のラッパー、ジブラやGORE-TEXはマッチョイズムのギャングスタラップを手本とし、LB系のラッパーSDPやTokyo No.1 Soul SetはDe la Soulやa tribe called questのヒップホップを手本としていただろう。いとうせいこうの「業界くん物語」から1990年代末までこのように、海外のヒップホップを手本としてほぼ地続きに日本語ラップの状況は形成されていった。

日本語ラップにとってもっとも重要だった年は1998年だろう。1998年以前以降で分けられるくらいに決定的な2枚のアルバムが発表された。shing02の「緑黄色人種」と、tha blue herbの「stilling still dreaming」である。2枚のアルバムはともにリリックの面でそれまでの日本語ラップとは断絶していた。
ヒップホップというカルチャーは郊外文化である。これは、どの国でもそうで例えばフランスのヒップホップグループであるNTMはパリ郊外セーヌ・サンドニ県で結成されたし、日本にヒップホップ文化が入ってきた原因の一つである映画「wild style」はアメリカ郊外が舞台である。自分の住んでいる場所でファミリーを作るのも、自分の境遇を歌うのも郊外文化としてのヒップホップの特徴の一つであるだろう。日本にはまず音楽としてのヒップホップ、つまりラップだけが音楽ジャンルとして入ってきた。ヒップホップは分解され、ダンス、グラフィティ、ラップそのものとしてまず紹介された。それからそれらの要素がまた合わさるのだが。
ブルーハーブは郊外を強調した。郊外で生活する自分をドラマ化して、自分自身を歌った。はじめて日本で文化としてのヒップホップを歌ったのはブルーハーブではなかったのかと思うのです。
tha blue herbが物語として自分を歌ったのであれば、shing02の「緑黄色人種」は物語自体を歌った。
それまでの物語が、コメディやマッチョイズムの「ラッパーを演じること」を指向していたのに比べshong02はより真摯で政治的な物語を指向した。
日本語ラップは1998年以降多様化していった。アンダーグラウンドとオーバーグラウンドの乖離はさらに加速して、アンダーグラウンドのリアルは一般的なリスナーにはフィクションとして捉えられ、またリスナーの求める音はレベルが高くなっていく。
つかれたのでやめます

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