2010年1月7日木曜日

ジーザス・クライスト・トリックスター

 おっぱいの素晴らしさについて考えてた。俺は誰にも教わらずにおっぱいの素晴らしさについてわかっていた。小学生のころだ。チャンピオンで連載してた、「オヤマ菊乃助」とか「地獄先生ぬーべー」とかで、おっぱいを見て、何て素晴らしいんだろうと子供ながら思った。
 そして中学生になって真っ赤な頭の中でクシャクシャになったおっぱいを夢想していた。今考えるとそのころ夢想していたおっぱいは最悪なおっぱいで、だから今思うのはおっぱいは性欲ではできていないってことだ。もっと神々しい。

 画家たちは裸婦画で己の理想的なおっぱいを提示してきた。
例えば、レンブラントのダナエ手の甲によって歪んだおっぱい。それは形というよりはむしろ完成された曲線であり、レンブラントは、おっぱいは大きさで選ぶものでないことを証明した。おっぱいとは単に形なのではなく、影やその瞬間の形、我々の思考力によって完成されるシステムなのだ。

 女性はその膨らみがあるだけで私の尊敬と畏怖の対象です。俺は一日としておっぱいのことを考えないことはない。おっぱいは神が創られたもののなかで、一番の傑作だ。
 映画でもそうだ。魅力的なふくらみが画面に映るだけで、ぼくは思い切り幸せです。
おっぱいのふくらみは僕たちの罪すべてが詰まっている。

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